2コリント12章 あなたがたの期待しているような者

2コリ12:20「私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか」

やはり手紙でのやり取りには限界があります。現代のようにモニターを通してお互いの顔を見ながらしゃべるわけにはいきません。パウロには多くの同胞や弟子たちがいて、彼らから集められるコリントの情報は、少なからずとも手紙の中に反映されていると思います。パウロの心配はコリントに行ってみると、手紙で勧めたことが全然できていないとか、また争いをやめるようにと書いた最初の手紙にもかかわらず(1コリ1:11)、分派がおきているようなことです。また、逆にあれほど手紙で正しい行ないや生活の規律を書いていたのに、実際にパウロに会ってみると落胆してしまうかもしれません。それはお互い様で、手紙に書かれていることが真実かどうかはその人のひととなりで評価されるのです。パウロは「離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです(10:11)」と書いてあるように、パウロ自身が自らを戒め、言動に注意を払っていることがわかります。パウロはそのために主は肉体にとげを与えられたのだと言っています(7)。そのとげのために高ぶることなく、コリントへ行っても毅然とした態度で、コリント教会の人たちと接することができるのです。