アモス7章 私は牧者であり

アモス7:14「アモスはアマツヤに答えて言った。「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた」 」
マツヤアモスのことを「先見者」だと呼んでいます(12)。先見者のヘブル語「chozen(ホゼン)」は、神のことばを預かる預言者とは違っていたようで、聖書ではガド(1歴21:9)、ヘマン(1歴25:5)、イド(2歴9:29)、ハナニ(2歴19:2)などが書かれ、また詩篇で歌ったアサフ(2歴18:30)、エドトン(2歴35:15)なども先見者だと書かれています。アモス書の最初にアモスは「テコアの牧者(1:1)」だとあります。1章の牧者のヘブル語「noqed(ノケイド)」は、一般的に羊などを追いかける牧童の「ra'ah(ラアー)」よりも牧場の管理者のイメージがあります。またこの14節での「牧者」は「bowker(ボケイア)」が使われ、聖書ではここだけの単語で、羊や牛の飼い主の意味になります。アモス書を読む人はアモスが主からの幻を与えられ(1、4)、確かに主のことばを預かる者(8)、だとわかりますが、アマツヤアモス預言者として認めておらず、ユダに行ってそこで預言していろとアモスを追い出すのです(12)。アモスは「自分は確かに牧者だった」とアマツヤの訴えを認めます。アモスは自分をインチキ預言者呼ばわりしたアマツヤに対し主からのことばを語ります。それはアマツヤの妻が遊女になり、子どもが死に、彼の土地が分割されるというものでした(17)。アマツヤは身をもってアモスが真の預言者だと知ることになります。