詩篇99篇 主は聖である

詩99:3「国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である」
「聖」はヘブル語で「qadowsh(カドーシュ)」で、「区別される」や「分離」を意味します。現在の国語辞典では「聖い」を「きよい」と読む表記はなく、聖書独特の読み方になっています。神が絶対的な存在で、天地を創造する前から存在していたことは聖書を読む人ならだれでも知っていることです(創1章)。へブル書ではメルキゼデクを「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく(ヘブ7:3)」と説明されており、これは神の子に似ていると書かれています。永遠を過ごされる神はその最初から「聖」であられたのです。モーセシナイ山で神と語ったとき、 山のふもとには境界が設けられました(出19:12)。それは、民が神を見ようとして殺されるのを防ぐために主が配慮なさったからです(出19:21)。それほどの聖さを保つ神が、なぜ不純な心を持つ人を愛するのかは謎です。おそらく、人を造ると決意されたときには、ご自分の命を捧げる決心があったのだと思います。聖なるお方が汚れた者と共にいてくださるのは福音の本質ではないでしょうか。