主は聖である

詩99:3「国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である」
「大いなる」と「聖である」は、ともに形容詞で、それぞれヘブル語では「godowl(ガドール)」と「qadowsh(カドーシュ)」が使われており、英語では「great」「holy」と訳されています。さらに1節では「主は王」となっていますが、「王」にあたるヘブル語の「malak(マラーク)」はもともとは動詞で「治める」という意味があり、それが転じて「王」や「女王」、「律法」というように使われています。どんなに王が「大いなる」お方で、「聖」なるお方だと形容しても、神は形容では表わされないほど偉大な存在なので訳する方も困ってしまいます。「聖」なるというのは、一度も罪を犯したことがなく 、その考えや思いに一片のくもりもなく、常に正しいことだけを考えることです。もし神が一度でも過ちや間違ったりしたなら、その時点で神ではなくなってしまいます。それは、人間には理解不能な存在で、人の視点で考えるならそんな存在などあり得ない、と一笑に付してしまうでしょう。しかし、神の口から出ることばはすべて真実で、そのことば通りに世界は成立し、人は命を与えられているのです。