詩篇100篇 、賛美しつつ、その大庭に

詩100:4「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ」
モーセの時代では、荘厳な雰囲気の中、雲の柱が下りてきてモーセと語られたとあります(出33:9)。とても歌い踊りながら、主の宮に入るような感じではありません。この詩編のように賛美を用いて主に近づくのは、ダビデの時代になってからです(1歴15:16)。そもそも、契約の箱を運ぶ際にケハテ族を用いず、しかも箱につけられた輪に棒を通さず、車に乗せて運ぼうとしたダビデにも問題はありました(2サム6:6)。しかし、主は契約の箱が、ダビデの用意した天幕に運び込まれても、災いを起こしませんでした(2サム6:17)。それどころか、後になって主はダビデの仮庵をなつかしみ、世の終わりに その仮庵を復活させることを預言者に託しています(アモ9:11)。ダビデの幕屋には至聖所や至聖所を仕切る幕などもなく(2サム6:17)、この詩編のように門や大庭があるのはソロモンの神殿が完成してからのことです(2歴7:7)。そして、約束の地に入ってからはケハテ、メラリ族の運搬の仕事がなくなったために、ダビデは彼らを楽器を演奏する者や歌うたいとして任命し、仕事に当たらせました(1歴15:16)。感謝しつつ門から入り、賛美しつつ大庭に入る様子はダビデが考えた礼拝スタイルそのものです。