主はわたしの主に仰せられる

詩110:1「主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ」」
ヘブル書では「私の主」は「御使い」だとされ、仕える霊だと書かれています(ヘブ1:14)。しかし実際に神の右の座に着いているのは間違いなくイエス様です(マコ16:19)。ここでは最初の「主」は太文字で、新改訳のルールでは「YHWH」のことを指し、後世にヤハーウエとかエホバと言われている主です。2回目に出てくる「私の主」の「主」はアドナイが使われ、一般的に神の呼び名とされているヘブル語です。現在神の右の座におられる方が降りてこられるのは、時が満ちてさばきが行なわれ、救われた人を天に引き上げるときです。そして「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である(4)」の中の「あなた」はイエス様のことを指しています(ヘブ7:21-27)。パウロはその理由を多くの人が祭司になり得たが、人は必ず死ぬので、その段階で祭司の仕事は途切れるが、とこしえに祭司でいるのはイエス様をおいて他にはない…という内容を説明しています(ヘブ7:22-24)。ダビデがさりげなく歌う歌の中にイエス様がときどき顔をのぞかせるのは、あたかもイエス様がダビデに語りかけているようにも思えます。