黙示録16章 裸で歩く恥を人に見られない

黙16:15「見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである」
もうすでに6つの怒りの鉢がぶちまかれ、世界はかなり混乱しており、間もなく主が来られそうな雰囲気ですが、それでも「わたしは盗人のように来る」というのは理解に苦しみます。これらのしるしを見てまだ主の日は遠いと思う人がいるのでしょうか?いったい誰に向かって裸で恥を見られないようにせよ、と言っているのでしょう。とにかく新約のいたる所に主は「盗人」のように来ると書かれ(1テサ5:2、2ペテ3:10、3:3など)、イエス様ご自身も「盗人」という言葉は使いませんでしたが「人の子は、思いがけない時に来る(マタ24:44)」と言われています 。唯一テサロニケにのみ「その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません(1テサ5:4)」と書かれています。聖書、特に新約は神を信じる者、イエスキリストを主として受け入れる者へ書かれた書物です。最後の最後にきて、もう一度主が盗人のように来ると書かれているのには理由があるはずです。主が来られた時に礼服を着ずに、婚礼に参加するわけにはいきません(マタ22章)。また真理の帯、正義の胸当て、福音を履かずにいることもできないでしょう(エペ6:14-15)。裸は神を帯びていないという意味です。