ガラテヤ5章 この二つは互いに対立していて

ガラ5:17「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです」
旧約では聖霊という言葉はまれに使われ、ヘブル語「qodesh ruwach(コデシュ ルアーク)」は、英訳NIVでは詩篇51篇11節とイザヤ63章10-11節に書かれています。そのどちらも聖霊が神のものであることが書かれ、イザヤでは「主の聖なる御霊(イザ63:10」と訳されています。パウロによれば、律法の時代は肉の時代であり、御霊に導かれるなら律法の下にはいないと教えています(18)。御霊と肉という相反するものが、人の中で葛藤するわけです。その結果として、「自分のしたいと思うことをすることができない(17)」という現象が起きます。パウロはここで、肉の行ないと御霊の実は何であるかをはっきり線引きをしています。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興(19-21)と15項目挙げられ、それに加えて「そういった類のもの(21)」があります。一方、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(22-23)、の9つが書かれ、いかなる律法もこの9つを禁ずるものはないとあります(23)。どんなに従うことが難しい律法であっても「隣人を愛せよ」を実行するなら、律法を全うしたことになります(14)。