箴言3章 その叱責をいとうな

箴3:11「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな」
このあと「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる(12)」と続きます。ソロモンがレハブアムをどれだけ叱ったのかはわかりませんが、箴言を読む者には、父がなぜ叱るのかがわかります。大人になる過程で両親のどちらかから叱られたことがあるからです。もし、叱られた経験がない人は愛されていないのかもしれません。どんな子どもでも分別がつく前は、周りが見えていないものです。パウロはヘブル人への手紙の中でこの箴言を引用し(ヘブ12:5-6)、さらに進んで主からの懲らしめを「訓練と思って耐え忍びなさい(ヘブ12:7)」と書いています。懲らしめが常に罰を伴うものとは限りません。パウロが言うように「そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるもの(ヘブ12:11)」なのです。懲らしめは罪を犯したからではなく、乗り越えてほしい壁があるから与えられるのです。あのヨブでさえ主からの試練を与えられています。もし、ヨブのように試練の中で「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな(ヨブ1:21)」と告白できるなら幸いだと思います。