箴言5章 私の心は叱責を侮った

箴5:12「そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った」」
「そのとき」というのは「肉とからだが滅びるとき(11)」のこと、すなわち死ぬときのことです。どうして死ぬときに訓戒を憎み、叱責を侮ったことを悔いるのでしょうか?それは義なる神によってさばきがあるからです(ヘブ9:27)。世界の中ではある国の法律は別の国では通用しないことがあります。しかし、死後のさばきは神の定めに従ってさばかれます。生きているあいだに何かしらのヒントはあったはずです。「わが子(1)」がレハブアムなら、父はソロモンです。父ソロモンの訓戒は何度もあったはずです。他国の女、すなわちイスラエルの神を信仰しない人のくちびるは特に警戒すべきです(3)。また主からの懲らしめも見逃してはなりません(3:11)。懲らしめがなければ死ぬだけです(23)。何か自分の思い通りにならないことは、神からのサインかもしれません。そのときは試されているのです。心の耳を傾け、何かを悟れれば幸いです。とにかく自分でさばかないことです(マタ7:1)。人を罪に定めることができるのは神のみで、そのさばきは正しいからです(ロマ2:2)。