アモス3章 それは主が下される

アモス3:6「町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか」
主は何かの原因がなければ、結果も生まれないと言っておられます。主が怒りに達したのには理由があります。しかも、それらが起きる前に預言者を通して神はイスラエルの民に語っておられました(7)。預言者を軽んじ、彼らの言葉を無視し続け、自分勝手な判断で行動しておきながら、口では主に従っていると言うのです。いっそ、全部の律法を無視して、他の神に仕えてしまえば、さばきを受ける方も理解できると思います。残念ながら、アモスイスラエルに警告をする役目ではなく、さばきが下ることを知らせる預言をしなければなりませんでした。イスラエルには、エリヤ、エリシャという2大預言者が遣わされ、エリヤはバアルの神の祭司たちと戦い、勝利し、主に栄光を返しています(1王18章)。イエス様が山頂で栄光の姿になったとき、ともに語り合うほど(マコ9:4)、預言者の中でも選り抜きの存在にも関わらず、イスラエルの民にはその預言のメッセージは届かなかったようです。これらのイスラエルのさばきは、アモスだけでなく、ホセアも預言し、またユダ国のイザヤもエレミヤも預言しています。預言せずにその成就はあり得ないのです(7)。