アモス2章 そうではなかったのか

アモス2:11「わたしは、あなたがたの子たちから預言者を起こし、あなたがたの若者から、ナジル人を起こした。イスラエルの子らよ。そうではなかったのか。ー主の御告げー」
預言者にも宮中預言者のような、王が気にいるような預言者もいれば、エリヤのように荒野で毛皮を着、腰に皮帯を締めただけの格好で(2王1:8)生活していた者もいました。アモスに語られている預言者とは、主からの言葉を誇張せず、飾らすに伝える預言者のことです。また、ナジル人はある請願のために物断ちをし、会見の天幕からも遠ざかる生活をしていた人を指します(民6章)。特にナジル人は聖別されている間は、ぶどうの木から生じるものを食べることを禁じられていました(民6:4)。そのナジル人に対してぶどう酒を飲ませた、とあります(12)。預言者にも預言をさせず(12)、神の声などどこ吹く風のごとくです。それは預言者やナジル人を遣わした神に対する否定でもあります。「そうではなかったのか」は、英語では「Is this not true(NIV)」と訳されており、主がはっきりとそれらの人々を遣わしてことを述べています。主の忠告を無視し、他の神に仕え、堕落した生活を続けたのはイスラエル人のほうです。主がさばかれる理由ははっきりしています。ヤロブアムが領土を回復したことも(2王14:25)、主からの憐れみだったにも関わらず、イスラエルの民はおごり高ぶったのです。