創世記15章 エリエゼルになるのでしょうか

創15:2「そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか」」
最初にアブラムが主に言ったのは「ダマスコのエリエゼルになるのでしょうか」という問いかけでした。これだけではアブラムの問題の解決にならないと考えたアブラムは続けて「あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう(3)」とあたかも主が子どもをくださらなかったことを責めるような言い方をしています。それは「あなたの受ける報いは非常に大きい(1)」と言われた神のことばと、自分の置かれている状況とに開きがあったからです。アブラムが報いを受け、大いなる国民(12:2)となるのなら、子孫に祝福を受け継がせなければなりません。アブラムには主のことばに対する疑いがありました。少なくとも疑問を持っていたはずです。しかし、天の星を見て「あなたの子孫はこのようになる(5)」と言われた主のことばを信じました。何の根拠もない遠い未来の話です。「信じる」のヘブル語「aman(アマーン)」は「確実な」とか「信頼する」という意味があります。主はその態度を義と認めてくださいました。それは主ご自身がアブラムを信じているように、アブラムも同じように信じたからです。義と認められたは最高の賛辞だと思います。