創世記17章 そして笑ったが

創17:17「アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか」
アブラハムも神のことばがあまりにも現実的でないために笑いましたが、同じようにサラも心の中で笑いました(18:12)。イサクは「笑う」という意味で、それは主が99歳になったアブラハムに(1)、妻サラから生まれてくる子どもにつけなさいと与えられた名前でした(19)。主はアブラハムもサラも100歳、90歳で子どもが生まれないだろうと考えることを見越しておられました。そのためにアブラハムは自分の子はイシュマエルのことだと勘違いし「イシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように(18)」と言っています。しかし、イサクが約束の子であり、パウロによればキリストを信じる者はイサクと同様に約束の子だと語っています(ガラ4:28)。イシュマエルは奴隷の子で、イサクは約束の子です。イシュマエルは肉に従う罪の奴隷の象徴で、イサクは信仰によって生きる自由な子を示しています(ガラ4:30)。アブラハムはともかく、サラの90歳という年齢は到底子どもができる可能性は低いと思われます。あたかもマリヤが処女でイエス様を産むことに匹敵する奇跡が告げられたのです。マリヤは笑いませんでしたが、アブラハムは笑いました。それゆえイサクと名付けられたのです。