詩篇10篇 神は忘れている

詩10:11「彼は心の中で言う。「神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ」」
神を求める者も(1)、高慢な悪者も(4)、共通して神は遠くにいて、見ておられないという思いを持っています。人の目に映るものがすべて清く、正しいものなら、このような詩はなかったと思います。全知全能な神が隠れたり、顔や身を隠す必要はありません。ダビデの詩の中にも「なぜ」「どうして」という問いかけは多くあります。それは神が沈黙することが、あたかも人にとって神の関心がなくなったように感じられるからです。権力や金があるなら、自信を持つようになり、自信は高慢につながり、やがて神を求めなくなるのだと思います。高慢は神が嫌うものであり、悪魔と同じさばきになるとパウロも言っています(1テモ3:6)。悪者としては、神はどうせ見ていないのなら、やりたい放題にできると勘違いするでしょう。神がどのように考えておられるのかはわかりませんが、神の義があって、神のさばきが絶対である限り、神により頼むしか人にはできません。神の存在を否定することのほうが簡単なのかもしれませんが、絶対的存在はあります。神を認めない人には、信仰という概念は理解できないと思います。人にとって不都合があるなら神はいなくて、好都合なら神はいるというものではないのです。神に近づくものを絶対に見捨てないことを知っているのは、神と交わっている人たちです。