申1:22「すると、あなたがた全部が、私に近寄って来て、「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう」と言った」
申命記ではイスラエルの民がモーセに対して、約束の地を偵察しようと提案したことになっています。しかし、民数記ではこれは主が命令したことです(民13:2)。結果としてはどちらの書簡も同じで、カナンの地は豊かで良い土地ですが(25、民13:28)、先住人を怖がっています(27、民13:27)。民数記では、民はその夜泣き明かしたとあります(民14:1)。モーセは「彼らを恐れてはならない(29)」と励まし、「人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ(31)」と説明しています。そして、この不信仰ゆえに約束の地に入ることができるのは、善悪のわきまえのない彼らの子どもたちだと宣告されるのです(39)。主としては出エジプトを経験した第1世代を、不信仰のゆえにその場で絶ち滅ぼしてもよかったはすです。神のご計画としてはヨシュアを新リーダーとした若い世代に期待したのだと思います。この世代は主の雲の柱を見、マナを食べて育ちました。彼らの父親たちは、約束の地に入るなら強いアナク人に殺されると思いました(28)が、彼らはカナンの地を偵察し「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました(ヨシュ2:24)」と、父親の世代と逆の報告をするのです。同じ光景を見て、主の選んだ世代の民は雄々しくて、ひるむことがありませんでした。