申命記29章 自分のかたくなな心のままに歩いても

申29:19「こののろいの誓いのことばを聞いたとき、「潤ったものも渇いたものもひとしく滅びるのであれば、私は自分のかたくなな心のままに歩いても、私には平和がある」と心の中で自分を祝福する者があるなら」
2020年に世界はコロナ・ウィルスの影響で大パニックになりました。聖書にあるような疫病が起きたのでしょうか(ルカ21:11)。しかし、別の箇所には「人々が「平和だ。安全だ」と言っているときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります(1テサ5:3)」ともあります。また、イエス様ご自身も、人の子が来るのはノアの日のようだとも語られています(マタ24:37)。これらを踏まえると、いろいろな天変地異はあっても、人々の生活の営みは完全には失われないようです。申命記にある者の考え方も、「どうせ滅びるなら自分の思いのまま行動した方が良い」というものです。主の祝福とのろいを提示され、新しく契約しようとしているときに(14-15)、決して心を主に向けようとしない者のことを指しています。主はそのような者を決して赦そうとはしません(20)。この世界を造られた方はたった一人で、神も唯一であるならば、祝福とのろいの二者択一の選択には別のオプションはないのです。なぜなら、ほかに神はいないからです。神を信じない多くの人は、ここに示された者と同じ考え方をしています。自分の欲のおもむくままに生きても、どうせ滅びるのなら同じことだと思っています。しかし、旧約の時代から主は祝福の道とのろいの道の2つを提示し続けているのです。救いを受けるかどうかはあなた次第です。