詩篇51篇 あなたはいけにえを喜ばれません

詩51:16「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません」
ナタンがダビデの罪を指摘したとき、ダビデは「私は主に対して罪を犯した(2サム12:13)」と言ったことだけがサムエル記には書かれています。しかし、この詩によれば、ナタンの前で悔い改める詩を歌い、心から後悔するダビデの様子が見て取れます。おそらくダビデの頭の隅には全焼のいけにえをささげることを思いついていたように思えます。ダビデはその思いを否定し、動物の血が自分の罪をあがなってくれるのではないことを悟るのです。ナタンはダビデに「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない(2サム12:13)」と告げ、ダビデがこの罪のために死ぬことがないことはわかっていました。その代わりバテ・シェバにできた子どもは死ぬことが預言されています(2サム12:14)。ダビデが犯したこの罪のために動物の血ではなく、我が子の死によって償わなければならないのです。詩篇では「砕かれた霊。砕かれた、悔いた心(17)」をもって、主へのいけにえとすることが書かれています。ナタンから言われなければ、ダビデの心は悔い改めず、ダビデの霊も砕かれなかったでしょう。