1サムエル5章 それをもとの所に戻した

1サム5:3「アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した」
ギデオンの時代なら、バアルの祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒したのがギデオンだとわかっていたので、ミデヤン人はギデオンの父ヨアシュに抗議しました(士6:30)。サムエル記では神の箱が安置された場所がダゴンの宮だったので、ダゴンの像がとばっちりを受けた形になっています(2)。倒れていた神の像は自分で立ち直ることはできませんでした。ギデオンが言ったように、倒されたり、壊されたりしたのなら、その神自身が自ら争えば良いのです(士6:32)。また、パウロアテネの人たちに「(神は)何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません(使17:25)」と言ったように、ダゴンがうつぶせに倒れたのなら人の手を借りずに自分で起き上がればよいのです。残念ながらミデヤンの神もペリシテの神も、人がなすがままに置かれ、食べもしない供え物を供えられ、いいようにあしらわれている感があります。いったい人と神のどっちが主人で、どっちが仕える者なのか疑問に思います。それは主の箱をどう扱うか相談しているときにも起きます。勝手な想像で5つの金のねずみだとか、金の腫物だとか、いいかげんな解釈でイスラエルの神の心を測ろうとします(6:4-9)。そういう態度そのものが、まことの神、すなわち聖書に書かれているイスラエルの神の戒めを知らないことを証明しているのです。