エレミヤ12章 なぜ、悪者の道は栄え

エレ12:1「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか」
エレミヤは主と論じ合うことがあったとしても、主の正しさの前ではどんな言葉も無意味なことを知っていました。それでも「なぜ」と聞きたいのです。「なぜ」「いつまで(4)」という問いかけは、ダビデなども詩篇でたびたび使っているものです(詩74:1、詩6:3など)。人が人生を歩むときに、どうしても納得できないことがあるはずです。エレミヤには悪者が栄え、裏切り者が安らかに見えていたのです。しかし、「なぜ」であろうと「いつまで」という問いかけでも、主は答えてくださっています。イザヤでは「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は言われています(イザ1:18)。また、別の箇所では「私に思い出させよ。共に論じ合おう(イザ43:26)」とも言われています。主の前に問題を持ち込むことを主は拒んでおられません。エレミヤの問いかけには、徒歩で競走しても疲れるのに、馬と走る者はいないと言われ(5)、主の守りの中にいるのに、わざわざ別のものを探してその中に住むこともないだろうと言われています。それなのに実際に主の民は、別の神を拝み、偶像に仕えるという暴挙に走ったのです。それゆえに、彼らを主の土地から引き抜くと言われます(14)。彼らが主に聞かなければ根こそぎ滅ぼされるのです(17)。