エゼキエル28章 『私は神だ』と言うのか

エゼ28:9「それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ』と言うのか。あなたは人であって、神ではない。あなたはあなたを刺し殺す者たちの手の中にある」
ツロの「君主」は自分を神だと名乗り(2)、ツロの「王」は、その昔、守護者ケルブとともに神の山にいたことになっています(14)。最初の者は「割礼を受けていない者の死を遂げる(10)」とあり、やがて死ぬことが決まっています。一方、もう片方のツロの王は、主に焼き尽くされ、地上の灰となった、とあります(18)。結局、死ぬ者が神となれるはずはないのです。聖書の記述では、唯一メルキゼデクが「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく(ヘブ7:3)」とあり、神の子に似た者とされたと書かれています。生涯の初めも、いのちの終わりもないことこそ、神のゆるぎない存在の証明だと思います。ツロの君主のように、これから自分を刺し殺そうとしている者のまえで、いくら虚勢を張って「わたしは神だ」と叫んだところで、数秒後には息絶えることになるのです。心臓を刺され、倒れた君主を見下す者がいることなど、神であるはずがありません。美と知恵と富、これらを兼ね備えることは大きな誉れとなりますが、逆に言うと大きな落とし穴に陥りやすいとも言えます。ツロの王は自分の美しさに高ぶったとあります(17)。ダビデの息子アブシャロムも美しさをほめはやされ、間違った選択をしてしまうのです(2サム14:25)。