箴言1章 わたしの叱責を受け入れなかった

箴1:25「あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった」
イスラエルの歴史の中では、いつもいつわりを言う預言者と主の御心を伝える預言者がいました。エレミヤはにせ預言者たちに「わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ(エレ14:14)」と語り、彼らの正体を明かしています。主は「わたしが呼んだのに、あなた方は拒んだ(24)」と言われています。主はいつも手を差し伸べられておられるのです。もし、過ちを犯したとしても「わたしに思い出させよ。共に論じ合おう。身の潔白を明かすため、あなたのほうから述べたてよ(イザ43:26)」と心を開いておられることが書かれています。自分が間違っていないと思っていても、世間一般の常識では間違っていることもあります。パリサイ人たちは主の律法の解釈を歪曲させ、それが正しいと信じていました。それゆえにイエス様から指摘されたとき、恥いる前に怒りが生まれたのです(マタ12:1-14など)。神に仕えていると信じていたパリサイ人でさえこのように間違えるのですから、ソロモンのいう「わたしの叱責を受け入れなかった」は、どの時代の人でも同じだと思います。