エレミヤ5章 あなたがたはどうするつもりだ

エレ5:31「預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ」
主は公義を行ない、真実を求める者を見つけたなら、エルサレムを赦そうと言われています(1)。まだチャンスはあるように見えます。しかし、エレミヤの預言の中には「これではどうして、わたしがあなたを赦せよう(7)」とあり、公義を行なう者など見つからない様子です。さらに「わたしが罰しないだろうか(9、29)」「復讐しないだろうか(9、29)」と具体例を挙げて、主に従わず、自分勝手に振る舞った罪をとがめないわけにはいかない、と言われています。主がイスラエルの民を祝福しようとしても、「あなたがたの咎が、これを追い払い、あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだ(25)」と彼らの罪と咎を責めておられます。主を恐れることを忘れたしまったイスラエルの民は(22)、まるで鳴くことを忘れた小鳥のように惨めで哀れになっています。預言者の自分たちには心地良い、歯の浮くような預言だを信じ、祭司たちは主の定めたとおりに人々をさばかず、自分の都合だけを考えてしまっています。そのようなものだけを受け入れる民に、主は何がしたいのだ、と問いかけています(31)。2017年訳では「結局、あなたがたはどうするつもりなのか」と訳されています。神でなくても、これだけいい加減なことをされるならそう言いたくなります。