アモス7章 主はいなごを造っておられた

アモス7:1「神である主は、私にこのように示された。見よ。王が刈り取ったあとの二番草が生え始めたころ、主はいなごを造っておられた」
出エジプトの際も神はいなごを準備されていたのでしょうか。エジプトでは歴史上かつてなかったほどの蝗害だったと記されています(出10:13)。しかも、神はモーセが杖を地の上に伸ばしたのを合図に東風を吹かせ、いなごがエジプトに到達しやすいようにしています。「二番草」というのは最初の収穫に続いて、もう一度草を生えさせていたもので日本ではこれらの草を刈っていますが、おそらく牧草として家畜の餌に使っていたのだと思われます。とにかく、二番草がいなごに食い尽くされると大打撃で、エジプトのときのようにその後の食料自給に大きな影響が出ます。次にアモスは火を見せられますが、いなごよりもっとたちが悪く、食料はおろか何も残らなくなってしまいます。これらの幻をアモスに見せたのは、すでにさばきを決断しておられる神の意思を知らしめるためです。いなごも火も主が思い直されましたが(3-6)、アモスは重りなわを通して、イスラエルがいかに主に対して忠実でなかったかを示されます(8)。主が重りなわをイスラエルの真ん中に垂れ下げたとき(8)、はたして重りなわの分銅はまっすぐ下に垂れ下がるのでしょうか。アモスは見たままを預言しますが、祭司アマツヤはそれを主からのものとは認めようとしません(10)。厳しく、辛い預言は誰もが避けようとするものです。