ゼカリヤ7章 このわたしのために断食したのか

ゼカ7:5「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか」

何のために断食をするのかは大きなテーマだと思います。バビロンに連れてこられたユダヤ人たちは、主の律法を守るように努力していたのでしょう。断食の月にもきちんと断食をして、主の言われたとおりを守っていたようにも見えます。ただし、「断食して泣かなければならないでしょうか(3)」という言い方には語弊があります。主の律法をただ守れば良いというものでもありません。このような偏った考え方がイエス様の時代のパリサイ人や律法学者に現れています。パリサイ人の起源は、捕囚後の神殿再建のころだと言われています。断食するのが律法だからするというのは、もし断食をしなければ、叱責や罰を受けるかもしれないという恐れが生じているからです。それはもはや主の考える断食ではなく、律法に縛られた行動制限がされているに過ぎません。主はユダヤ人たちが断食するのは、バビロン捕囚を悔いて嘆き、主がもう一度イスラエルの民を顧みてくださることを願って欲しかったのだと思います。断食も祈りも、主の御心ならば天に届き主が目を留めてくださり、その願いを聞いてくださるでしょう。70年間、いったい誰が5月と7月の断食のときに、心からの祈りを主に対してしたのでしょうか。主はこのことを咎めておられます。