ルカ14章 ある安息日に

ルカ14:1「ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、みんながじっとイエスを見つめていた」

とにかく安息日の「どんな仕事をしてもならない(出20:10)」の解釈をめぐって、イエス様とパリサイ人たちはことあるたびに対立しました。ある安息日では会堂で右手のなえた人をいやすかどうかをじっと見られていました(6:6)。今回はパリサイ人の指導者の家で水腫をわずらっている人がおり、その人をいやすかどうかを見られていたのです(2)。イエス様の時代の律法は、かなり変形しており、オリジナルの意味とかなり違っていました。そもそも、パリサイ人の起源はバビロン捕囚後70年経ったときに、神殿再建をするための祭儀やいけにえの捧げ方などの方法がわからない人がいたことが始まりだと言われています。エズラの指導により律法はイスラエルの民に継承されるようになりました(エズ7:10)。しかし、この継承が問題でした。安息日問題も、最低限の生活とシナゴーグまで行くことは認められていました。困窮する人、弱っている人を助けることでさえ、「仕事」だと考えるパリサイ人たちに、真っ向から立ち向かうイエス様は、「愛」を基本にして考えるなら、仕事がどうかは判断できるだろうと言われているのです。