マラ2:9「わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ」
この預言は祭司に向けてのものです。祭司だから高潔で清廉潔白な人物であるとは限りません。その職のタイトルがその人を決めるのではなく、そのポジションについた人の性格が職役にふさわしいかを決めるのです。ただし、祭司職は誰にでもなれるわけではありません。それゆえ、祭司職は30-50歳までと定められ、幼少の頃から30歳になるまで訓練が繰り返されるのです(民4:3)。その祭司が、主の道を外れ、えこひいきをするならば、民が祭司に不信感を持つのは当たり前です。おそらく20年以上の厳しい教育下にあっても、いざ祭司職につくなら、思い上がってしまったのでしょう。妻を裏切るたとえは、唯一の神である主に仕えながら、他の神にも心を向けてしまったことを指していると思います。アラブの国々のように一夫多妻制が許されている国もありますが、ユダヤ、キリスト教では離婚は認められていません。それでも、法律の許す範囲でどうしても許容できない場合のみ離婚が許されでいます。女と男で一体に造られたのは神です(15)。一度、神に人生を捧げると誓った祭司でも、主を裏切ることがあるのです。役職のタイトルにごまかされて、本人以上の人格を求めてしまうなら、「祭司」という名前に負けてしまっていると思います。