マラキ1章 汚れたパンをささげて

マラ1:7「あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている」

ダビデが祭司アヒメレクのところに行ったとき、食べ物を求めましたが、アヒメレクのもとには聖別したパンしかなかったことがサムエル記に書かれています(1サム21:4)。パンは小麦粉と水から作られるので、小麦粉が腐っていたり、水が汚れているなら、神にささげる以前に人がそのパンを食べられないでしょう。レビ記には体が不自由な者がささげものをしてはならないとあります(レビ22:21-25)。また外国人から受け取ったものを神のパンとしてささげてはならない、ともあります(レビ22:25)。幕屋と神殿では、7日目にこのパンを新しいものに換えており、ダビデはちょうどその取り替える日にアヒメレクのもとにいったので、パンをもらうことができました。その際、ダビデは若い者たちと落ち合う約束をしていましたが、アヒメレクは若い者たちが女から遠ざかっている必要があることを伝えています(1サム21:4)。つまり、ささげるときも、そのパンを取り下げて食べるときも身が聖められていなければならないのです。日本のお寺でも、毎日ご飯を仏像に供え、夕方には回収するところがあります。最近は冷凍保存しておき、決まった日に電子レンジで解凍して食べるそうです。目に見えないからと言って、次第にささげる物が雑になってしまうのは神を信じていない証拠です。