ヨブ記24章 今そうでないからといって

ヨブ24:25「今そうでないからといって、だれが私をまやかし者だと言えよう。だれが私のことばをたわごとにしようとするのか」

ヨブはやがて自分の命が尽きて、神に取り去られることを知っています。神に守られ、平安な人生であっても、やがて人は死にます。どんなに人生で華やかなときがあったとしても、やがて消えてしまうのです(23-24)。神が暴虐な者たちを生かし、助けたとしても(22)、神の目は彼らの歩んできた道に注がれています(23)。人生がうまく行った人も、そうでない人も、現在の状態を見て、神に祝福されたとは言えないでしょう。「今がそうでないからといって(25)」というヨブの言葉には、自分の財産が取られ、体が病気に冒されていても、誰がヨブの人生がまやかしだったと言えることができるのかという強い主張に聞こえます。全能者はヨブの歩んできた道をご覧にならなかったのでしょうか。「なぜ、全能者によって時が隠されていないのに、神を知る者たちがその日を見ないのか(1)」とあるように、神を知る者たちへの不公平さをヨブは語っています。ヨブは今まで歩んできたヨブの人生に目を留めてもらいたいのです。その中で不敬な態度があったかどうかを調べてもらい、判断してほしいと願っています。ヨブに起きた不幸な出来事が、ヨブの歩んだきた道へのさばきでないことを知っておきたいのです。