ヨブ記9章 「何をされるのか」と言いえよう

ヨブ9:12「ああ、神が奪い取ろうとするとき、だれがそれを引き止めることができようか。だれが神に向かって、「何をされるのか」と言いえよう」

ヨブは神と人との違いを知っていました。それは創造主なる神が何をなさろうとも、人智を超えたものでしかないからです。アブラハムは神がソドムとゴモラを滅ぼそうとしたときに、神には正しい者をも一緒に滅ぼしてしまうことがあるのだろうかと必死で神に尋ねました(創18:32)。ときどき、人の目には神のなさることの不思議さに知識がついていけず、人間的な判断で神のすることを計ろうとしてしまいます。イエス様の時代、取税人の祈りに目を止められ、遠く離れて立ち、目を天に向けとうともせず胸をたたいて「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」と言ったことを弟子たちに話されています(ルカ18:13)。このときイエス様は自分を高くする者は低くされると弟子たちに教えようとしていました(ルカ18:14)。ヨブの友人たちの試みもこのテーマに絞られています。たとえ本当にヨブが今までの人生で正しくあったとしても、神に勝る正しさはないのです。人生を振り返って、ヨブのように自分は神に対して正しく生きてきたと言える人が何人いるでしょうか。そういう意味においては神が最初にサタンに言った「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない(1:8)」は間違っていなかったのです。