ヨブ記27章 そのいのちを取り去るときは

ヨブ27:8「神を敬わない者の望みはどうなるであろうか。神が彼を断ち切り、そのいのちを取り去るときは」

人の致死率は100%で、誰もこの定めからは逃れられません。人は快楽を知ったときから、快楽のために生きることもできます。おいしいものを食べて、なおおいしくないものを食べることはできないのです。ここに肉の戦いがあります。ペテロは、肉の欲は常にたましいに戦いを挑むものだとしています(1ペテ2:11)。さらに、悪魔がほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを探し求めて、歩き回っているとも延べています(1ペテ5:8)。これらの誘惑に対して、神を知らないものたちは、ただいのちが尽きるのを待つだけなのでしょうか。人が死ぬなら神からさばきを受けることになります(ヘブ9:27)。死ぬときまで神の存在を知らない人にとっては、死んでから初めて神を知ることになるので、生きているときの行ないをさばかれるのは不本意だと思います。もし、神を知っていればと思うでしょう。そういう意味では、神を知る者の責任は大きいと言えます。この27章の最初はヨブ自身の格言を語っているとあります(1)。おそらく、彼はソロモンのように知恵ある者だったので、あふれる知識を格言として収めていたのだと思います。ヨブは「私の息が私のうちにあり、神の霊が私の鼻にあるかぎり(3)」不正をいうこともなく、嘘もつくことはないと告白しています。