ヨブ記29章 昔の月日のようであったらよいのに

ヨブ29:2「ああ、できれば、私は、昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに」

誰もが悪いことを経験するなら、良い日のことを思い出すものです。ヨブもかつては神とともに歩んでいた時期を思い出し、懐かしむのです(4-5)。それが悪いわけではありませんし、そう思うのはごく自然のことだと思います。エデンの園にいたアダムとエバも、エデンから追放されて初めて神のありがたさを知り、かつて神と語り合った日々を懐かしんだのでしょう。本来ならば、ヨブが最初に言ったように「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか(2:10)」を心に留め、神に対して感謝と礼拝をささげていたなら、ヨブの状態も変わっていたのかもしれません。しかし、ヨブにはどうしても納得がいかなかったのです。ヨブが助けた者たちが、ヨブの潔白を証明してくれるだろうと願っています(11-19)。目の見えない者の目となり、足のなえた者の足となり(15)、見知らぬ者の訴訟を調べてやったり(16)とできる限りのことをヨブはしています。それは自慢でもなく、神を信じる義がヨブを導いており(14)、ゆるぎのないものでした。もうこれ以上何を神がヨブに求めるのだろうかとさえ思ってしまいます。しかし、神はヨブに最も大切な教えを教えようとしているのです。