ヨブ記30章 善を望んだのに悪が来

ヨブ30:26「私が善を望んだのに、悪が来、光を待ち望んだのに、暗やみが来た」

「善」はヘブル語「tob(トーブ)」が使われており、神が天地を造られたとき、造られたものを見て「良し」とされた(創1:10)、とある「良し」と同じ単語です。また、「悪」は「ra(ラアー)」が使われおり、聖書に最初に登場するのはエデンの園の中に立つ「善悪を知る木」のときで、善悪は「tob」と「ra」が使われています。ヨブが望んだことは神が良しとされることでした。それは善であり、義でもありました。ヨブの人生の途中までは祝福され、多くの財産と、多くの子供たちに囲まれていました(1:2-3)。しかし、今やヨブにはそれらのものが全て取られ、体にも悪性の腫物で覆われているのです(2:7)。ヨブが嘆きたくなるのも当然のように思えます。しかも、生き残った妻も「神をのろって死になさい(2:9)」と、生きている価値がないと判断しています。人生の中で「あのとき」とか「あの瞬間」がフラッシュバックして、「もしあのとき」と思い返すことがあると思います。もちろんヨブがミスを犯さなかったわけではありません。ヨブは過ちを犯したのなら、主の前にすべてをさらけ出して赦しを乞うだけの信仰はありました。もし、友人たちが言うように神の前で正しくなかったのなら、即刻主の前で悔い改めたでしょう。ヨブの回想は続きます。