レビ記16章 彼が贖いをするために聖所に入って

レビ16:17「彼が贖いをするために聖所に入って、再び出て来るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする」

「贖いのふた」がある場所は、至聖所だけです(13)。パウロによれば、大祭司は年に一度だけ至聖所に入り、贖いを行うことになっています(ヘブ9:7)。イスラエルでは7月10日を「大贖罪の日」としており、おそらくこの7月10日か、あるいはこの日に向けて大祭司が至聖所に入る儀式が行われたのだと思います。この命令以降、40年間イスラエルの民は荒野を旅し続けるので、最低でも40回はやぎを荒野に放ち、アザゼルのもとに行かせ贖いを行なっていたはずです。約束の地に入りシロに天幕が作られましたが(ヨシュ18:1)、割り当ての地が決まり各部族が分かれていくとき、徐々に天幕での贖いの儀式の様子は聖書に登場しなくなっています。それでも、レビ族、祭司たちは天幕を守り、イスラエルがどこかと戦争しようとも、主の言われたとおりに捧げものをしていたのだと思います。なぜなら「これは永遠のおきてである(31)」とあるからです。この世代を超えたおきてにしたがって、イエス様は十字架にかかり、ただ一度すべての人の罪を背負って死なれたのです。これは1000年、2000年と時代が変わろうとも、不変の真理で、今も十字架の贖いは全ての人のためなのです。イエス・キリストを信じる信仰で罪は赦されます。