士師記17章 主が私をしあわせにしてくださる

士17:13「そこで、ミカは言った。「私は主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから」」
この話は別に異邦の国の話ではありません。ミカはエフライム族で(1)、通りかかったレビ人もユダのベツレヘムから来たと言っています(9)。当時、会見の天幕はシロにあり(ヨシュ18:1)、約束の地に入ってからはシロが神の天幕の場所となっていました。モーセの天幕は移動式のもので、そのためにメラリ、ケハテ、ゲルショムの各部族が、移動の際に割り当てられた職務を行っていました。天幕がシロに固定で移動しないとなると、彼らの仕事はなくなってしまいます。レビ人の中には、ミカと出会ったような主の奉仕を求めている者もいたようです。ミカの母が言った「主」も(2)、ミカが言った「主」も、原文「YHWH」が使われており、つまり聖書に書かれているイスラエルの神「主」のことです。それでもこのミカの話から来る違和感はなんでしょうか。母の銀を盗んだのに祝福を願い(2)、聖別したはずの銀で鋳像と彫像を作り(4)、通りがかったレビ人をつかまえて、自分の宮の祭司とするなど(12)やることなすこと、全部間違っていることだらけです。しかもミカは「主」がレビ人を送ってくれ、幸せになれると思っているようです。すべては「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた(6)」に集約されていると思います。