詩篇55篇 私に恨みをいだいています

詩55:3「それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています」

ダビデは勇士であり、向かう所敵なしといったイメージがありますが、詩篇を読む限りダビデはいつも悪者に悩まされていたことがわかります。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った(1サム18:7)」とまで言われたダビデですが、実際の戦闘のときには「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか(1サム14:37)」などと、常に主に伺いを立てているのがわかります。つまり、ダビデが勝ち続けることができたのは、自分で判断せず、どうすべきかを主の判断に委ねたからです。ダビデは、主がいつもいてくださり、見守られていることを知っていました。しかも、単なる敵ではありません。「私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう(12)」とあるように、ダビデが耐えられない限界点はもっと深いところにありました。それは、親友、同輩の裏切りであり(13-14)、ダビデを激しく苦しめたのは彼らです。聖書では英雄であり、負け知らずのダビデのイメージですが、現代の我々と同じように人間関係で悩み、苦しみ、いつも神に頼っていたことがわかります。そこには「さばきは主のもの」という教えが、固く守られていることがわかります。