詩篇56篇 私に何をなしえましょう

詩56:4「神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう」

11節では「人が、私に何をなしえましょう」と書かれており、同じことばが2回使われています。人がダビデに危害を加えることができなくても、やはり現実は厳しいもので、ダビデはアキシュのまえで気がふれた芝居をしています(1サム21:10-15)。そのことが正しいかどうかはわかりませんが、新約の世界でもパウロはエペソの劇場では、大集団の前で入って行くことができませんでした(使19:29-30)。また、テサロニケでは群衆が暴動を起こし、海岸まで退避せざるをえませんでした(使17:13-14)。さらにパウロがアジヤ宣教をしようとしたとき、聖霊によって禁じられたこともあります(使16:6)。何かをしようとしたときに、目の前で起きることがすべて主によって導かれ、バラ色の世界なら問題ないでしょう。しかし、信じる者に与えられるのは神とともに歩む方法の模索なのです。ダビデも多くの失敗をし、多くの試練をくぐり抜けてきました。そのたびに主にうかがい、主がどう判断されるかを最優先に考えていたのだと思います。ガテ人がダビデのことを考えてくれるわけではありません。たとえ、自分の命に関わる難しい問題であっても、人の命のことを考えてくださるのは神だと信じるべきだと思います。