コリント3章 顔のおおいを取りのけられ

2コリ3:18「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」

人が輝いているのを見たことはありませんが、イエス様ご自身はどうだったのでしょうか。イエス様が生きている間は、神の栄光に満たされていたはずです。12弟子が寝食をともにしていたあいだも、12弟子たちはイエス様の人格を慕っていたのかもしれません。人の中には言うことは立派でも、その実生活ではまったく言葉の通りでない場合があります。パウロ自身が誰かに「手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない(10:10)」と言われたらしく、それに対して「そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです(10:11)」と反論しています。鏡のように主の栄光を反映させるほど主に変えられたのなら喜ぶべきでしょう。また、主の姿に似るようになっても嬉しい限りです。しかし、それは自分が判断するのではなく、第3者によって見極められることです。キリストの香りを放つ人には、愛が満ちあふれ、争わず、自分を犠牲にして人に仕えることができます。人からキリストのようだと言われれば幸いだと思います(使11:26)。顔のおおいは御霊によって取り除かれます。それは人が神に向いていることです(16)。