2コリント4章 絶えず死に渡されて

2コリ4:11「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです」

パウロはキリストを信じる者がキリストとともに十字架にかけられたと信じています(ロマ6:6)。つまり罪に生きた肉体がキリストの霊によって新しくされ、古い人は死んだことを言っています(5:17)。それは、おそらく一度きりのものではなく、生きている限り絶えず死に渡されているのだと思います。人が土の器に入れられている以上、誘惑は避けられません。たとえキリストを信じるようになっても、肉の欲、誘惑は続きます。それゆえに「四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません(8-9)」と励ましを与えているのです。信じるようになったからといって、世界が変わるわけではありません。むしろ変わったのは信じた者のほうです。キリストの愛を知った以上、古い自分は死んだのです。キリストの愛を示すために、自分を殺すときこそ、自分の肉ではないキリストの愛が明かされるのではないでしょうか。内なる人が日々新しくされようとも目には見えません(16)。パウロは厳しい現実に向き合っても、目には見えない神の力が働いていることを教えようとしているのだと思います。