箴言27章 人の心は、その人に映る

箴27:19「顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る」
人を見てもその人格が現れているとは限りません。外見だけが良い人もいるでしょう。そのような美貌を持って生まれてきた人は幸いなのかもしれません。しかし、心が人に反映するとなると、美しさや整った顔立ちばかりを気にしてもしょうがありません。最終的には、主の栄光がその人を通して現れることが大切なのだと思います。パウロは「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます(2コリ3:18)」と言い、主の栄光を反映させることを強調しています。ソロモンが言うように、心が人に映るのなら、いくら顔を整形したとしても、仮面をかぶっているようにしか人は判断しないでしょう。犯罪心理学では、人が嘘をつくときに何かしらのサインが体のどこかに現れるとされています。眉ひとつ動かさず、汗の一滴もかかず、心臓の鼓動も正常のままで嘘をつくことはあり得ないそうです。もし、何かしらの体の変化もなく嘘をつける人がいるなら、その人は嘘だと認識していないか、事実だと信じ切っていることになります。何のまよいもなく「キリストは主です」と言えるなら、その人は神の栄光受け、顔を輝かせて多くの人への証しができることでしょう。