2コリント6章 ほめられたり、そしられたり

2コリ6:8「また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり」

真逆のことがそれぞれ書かれていますが、ほめられる人がそしられるなら、人の評価は変わってきます。また、悪評がある人が、好評を受けるなら、周りの人たちの印象も変わってくるでしょう。とくに、何も持っていないようで、すべてのものを持っている(10)、というのは意味が深いと思います。イエス様は弟子たちを送り出したときに、何も持たせずに行かせました。そのとき「何か足りない物がありましたか」という問いに、弟子たちは「いいえ。何もありませんでした」と答えています(ルカ22:35)。宣教を経験したことがある人なら、一度ぐらいはこのような体験があると思います。心配して心が騒ぐときがあっても、実はすでに神が備えてくださっていたようなことは生活の中でもあります。神に対していつわりない態度で生活しているなら、パウロの言うようなことが実現するのだと思います。もし、偽善者なら悪評は嫌うでしょう。また、ほめられることは喜んでも、そしられたがらないと思います。あらゆることをキリストの名のゆえに受けることができるなら、天におられる父がその人を見捨てるはずはありません。神にできないことはなく、同じようにキリストも聖霊にも不可能はないのです。ただ、信じる信仰によって受けれなかったり、待たされることもあるでしょう。