ピリピ2章 神のあり方を捨てられないとは考えず

ピリ゚2:6「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず」
パウロの主観的な意見です。問題は神がいつ「神のあり方を捨てられる」と考えたかです。それは創世記に神が最初のことばを発した「光、あれ(創1:3)」のときだと思います。つまり、天地創造をし、人を造られる決心をした瞬間に、ご自分のいのちをかけなければ人は完成しないことがわかっていたと思います。人が罪を犯し、その人を救うために…ではなく、人が肉のゆえに罪を犯すことも、神に従わずに自分勝手に生きるようになることもご存知でした。「光、あれ」がどれほどの覚悟で発せられたことばか、人には想像もできないことです。多くの人はそれは神の愛のゆえだと説明しますが、あまりにも深い神のご英断を理解できるほうが不思議です。神が人と同じように肉をまとい、人と寝食を共にし、語り合い、たとえ、人から罵声を浴びせられようとも決して復讐しようとせず、すべての人のためにいのちをささげました。これは永遠の不思議です。ただ、これを成し遂げたキリストに栄光が輝くことは理解できます。すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるのです(11)。