2コリント9章 少しだけ蒔く者は

2コリ9:6「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」

エス様は貧しいやもめが銅貨2枚を投げ入れるのをご覧になって、彼女をほめられました(マコ12:42、ルカ21:2)。それは生活費の全部にあたるものでした。旧約ではエリヤがやもめのところに遣わされたとき、やもめの経済状況は最悪でした。一握りの粉と少量の油しかなく、これを焼いて食べて死のうとしている決心を固めた直後で(1王17:12)、そこに預言者エリヤが現れ、水と一口のパンをくださいと言うのです(1王17:10-11)。預言者に敬意を払い、施しをすることは当時の慣習でしたから、女には選択肢が残っていませんでした。新旧約に登場する2人の女は、人生の崖っぷちに立たされそれでもなお神に信頼する姿勢を崩しませんでした。パウロが言う「少しだけ蒔く者は」どころか、あるものすべてを差し出しています。神がすべてをご覧になっていることは明白ですが、ときどき「少しぐらいなら」という妥協が頭をよぎることがあります。サタンがささやいているのです。サタンが人の命に触れられないことはヨブ記の中でも書かれていますが(ヨブ2:6)、周りの環境をいじったり、変えたりすることはできるようです。どう見ても劣悪な環境で、神などいないと考えるほうが優しいように見えるときがあります。それこそサタンのささやきです。