エゼキエル16章 姦淫を重ねて

エゼ16:25「どこの辻にも高台を築き、通りかかるすべての人に身を任せ、姦淫を重ねて自分の美しさを忌みきらうべきものとした」

聖書で書かれている姦淫の意味は文字通りの意味ではなく、信仰や礼拝に関することです。黙示録では「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン(黙17:5)」という女が登場し、「紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた(黙17:6)」とあります。女は国、あるいは教会を指します。イスラエルやユダが黙示録に書かれているような、大バビロンに匹敵する罪を犯していたのなら、神の怒りも頂点に達していたのことがわかります。ただ、ユダヤ人はアブラハム契約のゆえに最後まで滅ぼされずに生かされるのは間違いないでしょう。それは終わりの時代に各部族から1万2千人が選ばれ、額に印を押されることが書かれているからです(黙7:4ー8)。黙示録にある大バビロンも多くの国と姦淫を繰り返したことが書かれ(黙17:1-2)、エゼキエルでもエジプトやアッシリヤ、カルデヤなどという国が挙がっています(26-29)。イメージとしては商取引きの中でも、神の忌み嫌われる何かを条件に、売ってはならないものを売買するような感じです。とにかく主がさばきを下すには、それ相応の悪があるはずです。