エゼキエル15章 たきぎとして火に投げ入れた

エゼ15:6「それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしはエルサレムの住民を、わたしがたきぎとして火に投げ入れた、森の木立ちの間のぶどうの木のように、火に投げ入れてしまう」

今のイスラエルの若い人は、過越の祭りにはパン種の入っていないせんべいのようなパンを食べる祭りぐらいにしか考えておらず、親から過ぎ越しとは何かを学んでいないようです。徐々に風化していくイスラエルの祭りは、日本の初詣のように何が起源で、何のために行なっているのかわからなくなっています。イスラエルの律法では豚は食べることは禁じられていますが、イスラエルのレストランの中には観光客相手に豚肉を出す店もあるようです。ちょっとずつ境界をずらし、曖昧にしていくのはサタンの作戦です。エルサレムの民も最初から神を裏切るつもりはなかったと思います。気が付けば、異教の神がイスラエルに蔓延し、それは神殿の中にまで及んでいました(8:10)。現在のイスラエルにも超正統派と呼ばれるユダヤ教信者もいますが、その律法の守り方はイエス様が地上に来られたころのパリサイ人のやり方によく似ています。それでもアブラハム契約は生きており、ユダヤ人の半数を有するアメリカが神の祝福を受け繁栄することは続くでしょう。しかし、繁栄が人の幸福のすべてではないことに誰から警告し、警鐘を鳴らすべきだと思います。そうでなければ神によってたきぎのように火にくべられるのです。