2列王記7章 主が天に窓を作られるにしても

2王7:2「しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、彼は言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」」

「たとえ○○だとしても」というたとえ話は、基本的にはありえないことを話すときに用いる語法です。たとえに使われる話は可能性のある事柄で、そして後にくる話は不可能なことを示します。この場合、主が天に窓を作られるというたとえが話されています。マラキの預言には十分の一を捧げるときに神が天の窓を開き、あるれるばかりの祝福をあなたに注ぐかどうかためしてみよ(マラ3:10)ということばがあり、神が人に恵みを施すときには天の窓を開いて祝福を流し出すような書き方をしています。おそらくイスラエルの民は、主が祝福を与えるときには、天の窓を開いてそこから恵みを降らしてくださるようなイメージがあったのだと思います。そのため、この侍従は包囲されているサマリヤの城壁の上に主の窓があったとしても、この飢餓の状態を克服できるような神のわざは起きないだろうと言っているのです。この侍従は病気の王が寄りかかる役目をおう、信頼の厚い家来の一人だったと思います(2)。そのため彼の話したことは王にも聞こえたはずです。アラム軍が主の音で逃げ出したように(15)、侍従もイスラエルの民の歓喜の渦の中で踏まれて死ぬのです(17)。

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