エゼキエル43章 罪のためのいけにえとして

エゼ43:19「わたしに仕えるために、わたしに近づくツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに、あなたは、罪のためのいけにえとして若い雄牛一頭を与えよ。―神である主の御告げ―」

罪を贖うためにいけにえを捧げるのは旧約の時代の律法です。もちろん律法は今も生きていますから、いけにえを捧げることが無駄だとは思いません。しかし、いけにえは神をなだめ、さばきを沈めることはできても罪そのものがなくなるわけではありません。パウロは「同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません(ヘブ10:11)」と言い、動物の血で罪は消し去ることができないことを説明しています。罪が赦される一番の方法は、罪を犯した本人の血を流し、神の前に差し出すことです。これは「死」を意味します。神は人が罪のために死ぬことを本意とせず、その代わりにいけにえの血で贖うようにされたのです。現在、イスラエルでは誰もこのようにいけにえを毎日殺し、罪のためのささげものを捧げることはしていません。キリストを信じる者は、イエス様が罪のために死なれたことを信じる信仰によって罪が赦されます。ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、罪があれば神の前に出ることはできません。キリストを信じていても、心に汚らわしいものを抱えては、主に受け入れられないでしょう。主は常に心の中をご覧になるからです(1サム16:17)。

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