いちじくを呪う

マコ11:13「葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである」
もう何回もここの解釈にチャレンジしていますが、未だに答えは見つかっていません。最大の疑問は「なぜ、呪ったのか?」ということです。全ての人を救うために来られたイエス様は、人をいやし、教え、祝福することはあっても呪うことはありませんでした。律法学者たちを「忌まわしいものだ」と言っても、彼らを滅ぼすようなことはしませんでした(マタ23章)。このいちじくは実がなる季節ではないのに、葉が茂っていました。枝が柔らかくなり、葉が出ると夏が近いことがわかります(マタ24:32)。実のなる季節を決めたのはイエス様です。いちじくは自然の理にかなっていなかったのでしょうか?終わりの時代に、教会は聖めを受けると思います。その後主が来られた時に、御霊の実をつけていなれば見捨てられる?…こんな解釈はいかがでしょうか?