12章の始めと終わり

マコ12:7「すると、その農夫たちはこう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ』 」
借りている立場の者が勘違いして、自分たちのぶどう園だと思うことは現実でもよく見かけます。この世の全て物は神に属するものです。その中のいくらかを所有したところで、自慢にはならないでしょう。しかし実際には金持ちや貧乏人がいて、財産の有無は人の心を左右しがちです。この章はマルコの中では唯一のたとえ話「ぶどう園の農夫たち」から始まり、やもめの献金で終わっています。ぶどう園の農夫たちは、仕事を任されているうちに、ぶどう園は自分たちのものであるかの錯覚に陥りました。欲が彼らを支配したのです。一方やもめは全財産を献金しました(44)。自分の生活より、神の国を優先したのです。イエス様が献金箱に向かって座ったのは偶然ではなかったと思います(41)。金持ちが投げ入れるのに混じってやってきたやもめの信仰は、イエス様が最も見たかったものではなかったでしょうか?