肉体と心

ロマ7:18「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです」
いけにえの原理で言うなら、いけにえは血を流し、脂を落として主に捧げなければなりません。それが購いです。人の肉に善がないのなら、その肉の血を流し、脂を落としてから、主に捧げなければなりません。血は命の宿るものです。脂は罪の象徴です。本来なら、人は死ななければなりません。肉を持って生まれた者はみんなそうです。善も義も知らずに、自分の欲を満たして死んでいくのです。霊、魂は人の思いを支配していますが、肉は人の行いをコントロールしています。どんなに頭で理解しても、自分を捨て、人に仕えることは難しいことです。パウロは罪の原理は、生きている全ての人が対面する、心と体のバランスの問題だと言っているのです。罪に死に、神に生きるなら、もはや罪は肉を支配しません。良い行いさえも主がご用意してくださるのです(エペ2:10)。